落書き部屋

のんびり書いていくブログです。

お酒に限らず、エレガントに嗜まなければならない現実

 今でこそ「酒をこよなく愛する男」になったものの、そもそも酒を飲み始めるきっかけは人付き合いのツールとして必然的に存在していて、当然のように手を出しただけでした。ほとんどの方が同じだと思うのですが、誰も生まれた時から酒を飲んでいるわけもなく、大体が学生や会社の飲み会的な場で酒を経験するのだと思います。中には興味本位で手を出すパターンもあるでしょうが、一昔前は一種「大人への登竜門」だったと思います。

子供では味わえないその味は、最初は不味いとすら思ったものですが、だんだんと慣れていき、いつのころからか「美味しい」と思うようになっていました。これって麻痺なんでしょうか。

飲み初めのころは誰しも酒への耐性がどれほどのものか分からず、あるものは恐る恐る限界を探り、あるものはいきなり限界を突破して撃沈したりします。私の場合、両親とも大酒のみだったこともあり、肉体的な耐性は持ち合わせていました。

このことに関しては良心に感謝しております。だけどまあ、いろんなタイプがいるもので、耐性がまったくないいわゆる「下戸」もいれば、飲めるけれども酒に飲まれる「酒乱系」など、長い酒飲み人生でたくさん経験させてもらいました。

昔は結婚するならば「夫婦一緒に酒を飲んで語らいたい」と思っていたのですが、残念ながら妻は下戸ぎみで、いまは酒を飲んでいる私を軽蔑しているのではないかと、恐る恐る飲んでいます。

煙草もそうなんですが、嗜まない人にとって「酒」は害悪でしかないのでしょう。言うことは分かるのですが、好きなものは好きなんです。ただこれに限らず、全ての嗜好や趣味に言えるのが「他人に迷惑を掛けないように楽しむ」ことが大事で、一部モラルの無いダメな人間のせいで、同じ楽しみをもつ人間がダメ人間と同じレッテルを貼られてしまうのが残念です。

 

我が家でもレッテルを貼られる懸念が存在しているので、まずは綺麗に飲むお酒を実践しなければなりません。難しいのですが、やらねばならぬのです。